小林健二
1957年東京都港区新橋に生まれる。絵画、立体、インスタレーション、写真、映像、音楽など、ジャンルにとらわれない表現活動を続ける。子どもの頃から天文や科学、創作すること、そして神秘なものへの好奇心と興味は深く、模型工作に熱中する日々を送ってきた。作品発表をするようになって以来、その結晶のように現出した表現世界は、神秘的なテーマ、太古の夢、そして人類の未来へと時間軸を自在に往来し、目に見えない世界やこころの奥に潜む風景への郷愁がまるで蘇るようだ。'90年代より少年工作や科学模型などの製作、研究を通じて人間と天然現象との交通を試みる活動も行っている。その著作や科学キットなどは周知のかたも多いであろう。興味のある方は下記サイトにて
http://www.aoiginga.com
主な著書に作品集「AION」(用美社)、「ぼくらの鉱石ラジオ」(筑摩書房)、銀水色版「みづいろ」「PROXIMA」(銀河通信社)などがある。
小林健二は子供の頃より絵を描くのが好きだった。それは彼にとって一番自分を表わすのに、そして人とコミュニケーションするのに自然なことであったようだ。高校時代にはよく紙に水彩やインクなどを使って絵を描いており、その中で残ったものの1つである。これは後に彼の代表作ともなるが、裏に添えられた文章をそのままタイトルとして使用している。彼の深層に潜む精神の在処がうかがえる大切な作品であることに間違いは無いであろう。
[彼は一番強い生物。何故ならものを悩んだり、企んだりする脳を持っていないから。
彼は一番強い生物。光の力をそのまま自分の血や肉に変えているから。
彼は一番弱い生物。思いっきり愛することのできる重いハートを、
4本の足で支えなければならないから。]
[HE IS THE MOST POWERFUL CREATURE BECAUSE HE IS HEADLESS;FREED FROM WORRY AND CONSPIRACY. HE IS THE MOST POWERFUL CREATURE BECAUSE HE CAN ALTER LIGHT INTO HIS BLOOD AND BODY. HE IS THE MOST FEEBLE CREATURE BECAUSE BEING ABLE TO LOVE HE MUST SUPPORT HIS HEAVY HEART WITH HIS FORE LEGS.]
紙に鉛筆、インク、醤油 pencil,ink,soysauce on paper 270X380(mm) 1973
1979年頃より仲間をつのりアトリエを文京区本駒込に借りる。そこで小林健二は表現したい世界により純粋でありたいと思う事により、絵画素材、技法などの研究に没頭し、この頃より絵具、キャンバスなど独自な技法をあみ出していく。そして初期の油絵が誕生していくが、そこにはたとえばハッカのマチエールと題した彼独特なテクスチャーや七宝焼を思わせる実に透明感があって美しい青色などが使われており、今だその色彩や質感は失われていない。
1984年の個展「UTENA」での小林健二。80年頃より自分で紙を漉いて作品を製作することを始め、研究、実験をかさねてきた。その結果、あたたかな質感に被われた作品たちが生まれる。この会場では彼自作の曲がしずかに流れていた。音楽はMISCELLANEOUSで紹介。
町工場を思わせる1980年代の小林健二のアトリエ。刀匠であった父の仕事場が子供のころの遊び場の1つでもあったせいか、様々な道具が身近にあることが自然であった。また健二自身 工具や道具に対しての趣向、知識、そしてその精通ぶりは並々ならぬものがある。そして自分の手の延長として仕事をしてくれる道具を実に大切に扱う。また今後だんだんと失われつつある手道具に対し、文化の1つを担ってきた職人の世界への憂いから、研究の一旦としても内、海外の工具も精力的に入手していく。
[アルシオンから] 自漉紙にドローイング 420X320(mm) 1981
[From ALCYONE] ink,drawing on handmade pape
未発表の作品。表現方法の1つでもある文字に対しての興味から、小林健二は今後ローマ字表記によって彼独自の詩のような文章を作品中に添える事がある。伝えるという行為自身に枠はなく、そう言う意味ではおもしろい最初の頃の作品と言えよう。
小林健二は1982年の頃から、よりメッセージ性の強い作品を精力的に創り続ける。その現れの1つに、上の作品たちに見受けられる共通した形態がある。これらはあくまで一部でしかなく、しかも未発表に終わっているが、彼はこの社会でおこっている矛盾や理不尽さに憤りと悲しみを感じ、それらを作品へと向けていった。作品集「AION」では掲載されている。
[PSYRADIOX]
木、蛍石、合成樹脂 、ブラックライト、
硝子、電子部品
wood,fluorite,synthetic resin,black light,glass,electric device
285X220X170(mm) 1987
作品上部にあるガラスドームの中で鉱石が時間とともにゆっくり七色に変化し、ラジオの音声に同調して光が明滅する。
The crystal slowly turns to various colors inside the glass dome and shines,synchronizing the stress of the radio's sound.
1987年、彼にとって予想せぬ出来事がおこる。母は既になくなり、一年前に父も突然の死を迎えたばかりであった。呼吸が思うようにできなくなる。以前からの持病でもあった喘息の悪化による心肺停止。緊急入院したICU(集中治療室)の中で彼は奇跡的に息を吹き返した。彼が病室で何を思い、感じそして考えたか、しばらくは積極的に語ろうとはしなかった。ただ確実になんらかの核心にも近いものが心の奥深く刻まれたであろうことは想像にあたいする。
また、彼の代表作としてしばしば取り上げられる[PSYRADIOX]は、調度この頃のもので,電気仕掛けの装置的な作品は1986年頃より製作されはじめる。以前より彼は目に見えない不思議なはたらきをする電気というものに引かれ、自作エフェクターを作るなど電子工作に熱中していた。そして飽く事のない探究心から1997年に出版される「ぼくらの鉱石ラジオ(筑摩書房」へと繋がるのである。[サイラジオ]は「*鉱石ラジオ」という言葉からくるイメージから製作された作品である。
*(電源がなくても鉱物を使用して放送を聞く事が出来るラジオで、日本では大正から昭和初期くらいに普及したようである)
1990年、作品集「AION」(用美社)が出版された。B4版(350X275(mm),全カラーP176(写真点数202点)+モノクロ INDEXP68(写真点数403点)総ページP244、 丸背上製本クロス張り、プラスティックと印刷紙のダブルカバー掛け、という豪華なものであった。 1973年から1990年にかけての小林健二の写真が残っている作品などを中心に、ほとんどが図版のみで編集された。そして作品タイトルを覗いて唯一巻末に添えられた文を以下に記す。それは彼のこれまで、そして今後の一貫した祈りにも似たメッセージである。
健二の作品の中でも青く光る土星が静かに回っている装置は人気がある。それはきっと誰もが美しいと感じ惹き込まれてゆく魅力を備えているからであろう。時の経つのを忘れ見つめていると、あなたは決して独りではないと、声だかではなくひっそりと囁いてくれるような気がする。土星をモチーフに製作された作品の中で、もっとも初期のもの。その後[SATURN RADIO STATION]、[SATURN TELESCOPE]へと繋がっていく。
[土星望遠鏡] 木、水晶、硝子、電気など 180X140X85(mm) 1991
[SATURN TELESCOPE] wood,quartz,glass,electric circuit,others
1990年、Gallery FACEでの個展「黄泉への誓(ウケヒ)」1991年、水戸芸術館での「You are not alone」など、集中的に作品制作、そして発表の場が増え、1993年、5会場での同時個展開催に合わせ、5冊の出版物が製作される。
「ぼくらの鉱石ラジオ」(筑摩書房)が出版されて以来、トークやワークショップ、メディアでの執筆が増える中、4年ぶりの個展、1999年の「惑星の記憶」から2000年福岡での展覧会4会場同時開催を経て2003年「ひかりさえ眠る夜に(福井市美術館)」が開催された。広い会場に繰り広げられた健二の世界は、彼の永遠のテーマの一つでもあるーひかりー 。それは作品集「AION」に添えられたメッセージ [COSMOS,LIFE ART UNITY]の中にある誰もが自由にそして深く息のできるボーダレスな世界への夢。そんな現れの一端が、静かに私たちを迎えてくれるような気がした。
「ひかりさえ眠る夜に」の会場風景の一部。
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